2014年05月04日
R.I.P ・・・・・・
さてゴールデンウィークも後半・・・相変わらず高速道路は大渋滞。
有給で平日に出掛ける作戦は今年も成功 ww とてもあの渋滞の中運転する気にはなれません。
さて今日紹介するのは、G&Dから発売されている Lovely Italian というシリーズです。
2代目のFIATであるFIAT 500ですね。 マニアの間ではFIAT 500をチンクェチェントと呼ぶ方もいるそうです。
500はイタリア語読みでチンクェチェントと読むそうですが、旧型FIATは、以前MEDAKAサンのものを紹介した記憶がありますが、
こちらのG&DのものはMESH製となっており、旧型のMESH製は、あまり記憶に無いですね・・・・・
マシンのサイドには、イタリアンカラーのストライプがオシャレです。 このクルマは、セッティングの変更も可能ですし、
なんとBURNOUTも装備 !! 実際には空冷直列2気筒でわずか15馬力と言われていますので、ありえない話です ! www
最近では外見は良い出来栄えで価格もリーズナブル、しかし実際購入し走らせるとスクリに問題があるケースがあります。
価格も価格だけにこんなものか・・・で、我々は終わっていますが、実際にはご紹介できないようなクルマもあります。
CUBIXのブログはクルマを宣伝する為のブログではありませんので、正直にお話しているつもりです。
クルマが小さいのでアバターが収まるのか心配の方もいるかと思いますが、RESIZE機能を装備していますし、
POSITIONのADJUST機能も装備していますので、どのアバターでも問題なさそうです。
RESIZEとポジションも変更ナシで、自分のアバターだとちょっと頭がでる感じでしょうか・・・・・
ルーフはOPEN-CLOSEするスクリも入っていますので、RESIZEやポジションのADJUSTは必須と思います。
実際走らせて後ろから見ていると、トコトコと走る姿がとてもカワイイ車です。
こちらのG&Dから発売されている Lovely Italian は、全8カラーが販売されています。
TP TO ⇒ G&D Mainstore GO TO ⇒ MARKETPLACE
そして、最近CUBIX のFlickrに★Addicted to SL vehicle★というGROUPを作りまして、SLのブログ中で使われている
クルマとバイクのスナップショットを集めるGROUPを立ち上げました。
まだまだ立ち上げたばかりですので、SSは少ないですが、興味のある方は参加してみてください。
参加条件は、SLの乗り物でとくにクルマとバイクのSSで、ファッションブログに使われているようなSSでもクルマか
バイクが一緒に写っていればOKです。 飛行機、船、自転車などの乗り物はお断りしています。
有給で平日に出掛ける作戦は今年も成功 ww とてもあの渋滞の中運転する気にはなれません。
さて今日紹介するのは、G&Dから発売されている Lovely Italian というシリーズです。
2代目のFIATであるFIAT 500ですね。 マニアの間ではFIAT 500をチンクェチェントと呼ぶ方もいるそうです。
500はイタリア語読みでチンクェチェントと読むそうですが、旧型FIATは、以前MEDAKAサンのものを紹介した記憶がありますが、
こちらのG&DのものはMESH製となっており、旧型のMESH製は、あまり記憶に無いですね・・・・・
マシンのサイドには、イタリアンカラーのストライプがオシャレです。 このクルマは、セッティングの変更も可能ですし、
なんとBURNOUTも装備 !! 実際には空冷直列2気筒でわずか15馬力と言われていますので、ありえない話です ! www
最近では外見は良い出来栄えで価格もリーズナブル、しかし実際購入し走らせるとスクリに問題があるケースがあります。
価格も価格だけにこんなものか・・・で、我々は終わっていますが、実際にはご紹介できないようなクルマもあります。
CUBIXのブログはクルマを宣伝する為のブログではありませんので、正直にお話しているつもりです。
クルマが小さいのでアバターが収まるのか心配の方もいるかと思いますが、RESIZE機能を装備していますし、
POSITIONのADJUST機能も装備していますので、どのアバターでも問題なさそうです。
RESIZEとポジションも変更ナシで、自分のアバターだとちょっと頭がでる感じでしょうか・・・・・
ルーフはOPEN-CLOSEするスクリも入っていますので、RESIZEやポジションのADJUSTは必須と思います。
実際走らせて後ろから見ていると、トコトコと走る姿がとてもカワイイ車です。
こちらのG&Dから発売されている Lovely Italian は、全8カラーが販売されています。
TP TO ⇒ G&D Mainstore GO TO ⇒ MARKETPLACE
そして、最近CUBIX のFlickrに★Addicted to SL vehicle★というGROUPを作りまして、SLのブログ中で使われている
クルマとバイクのスナップショットを集めるGROUPを立ち上げました。
まだまだ立ち上げたばかりですので、SSは少ないですが、興味のある方は参加してみてください。
参加条件は、SLの乗り物でとくにクルマとバイクのSSで、ファッションブログに使われているようなSSでもクルマか
バイクが一緒に写っていればOKです。 飛行機、船、自転車などの乗り物はお断りしています。
1994年F1サンマリノGPでアイルトン・セナが事故死を遂げてから、早いもので5月1日で20年の月日が流れました。
雑誌NUMBERからは、アイルトン・セナ没後20年の特集号が先週発売されています。
F1ドライバーのようなレーシングドライバーに限らず、スポーツ選手がスーパースターとなる条件のひとつに、
”スポーツ選手の枠を超えた人気”があると思いますが、80年代後半から90年代 前半にかけてのセナが、まさにそれだった。
速さでは匹敵するドライバーが出てきたとしても、アイルトン・セナのようなカリスマ性をも持ったドライバーはいないだろう。
1994年のあの日、中継を見る事無く寝ていた自分は、夜中に父親に叩き起こされた・・・・・
「セナが亡くなってしまったようだ!!!!」・・・・・飛び起きて画面を食い入る様に観たのを覚えている。
F1での死亡事故がサンマリノGPで起こるまで久しくなかったように記憶していますが、ポールポジションからスタート、
トップを走りながら、世界のファンが見ているテレビの前から天国へと逝ってしまったF1ドライバーは、セナが最初で最後だろう。
衝撃的な事故死を重く見たFIAは、エンジンパワーやダウンフォースを落とすような改革を行ないました。
その後も安全性を高めるレギュレーション変更を継続しており、セナの死後、20年間F1での死亡事故は一度も起きていません。
あの1994年はレギュレーションが大幅に変更され、ドライバビリティを良くするシステムが全面的に禁止されましたシーズンでした。
当時ハイテクと呼ばれていましたが、アクティブサスやTCSやABSや4WS等々が禁止され、残ったのはセミオートマくらい。
主な理由はあまりにもコストのかかるハイテク・デバイスの開発を禁止し、トップ・チームと中堅クラスの実力差を埋め、
コース上でのバトルを増やそうとの目論みでした。 しかし、このような急激なレギュレーション変更は、
結果的にますます下位チームの財政事情を苦しめ、資金難に苦しむチームはレースでも明らかに苦戦していました。
これまでハイテクの安定性に頼り、空力マシンのウィリアムズチームは、非常に神経質なマシンになってしまいます。
神経質というのは、扱いづらいという意味で、少し空力バランスが崩れると、あっという間にコントロールを失ってしまう・・・・
問題はそれだけではなく、セナの体にマシンが合っておらず、計器類も見えず、ステアリングも好みのものより小さく、
ステアリングを切る時には、モノコックに手を擦ったりして、予選はともかく約2時間のレースを安定して走り切る能力は疑問でした。
開幕2戦で予選1位は共にセナ、優勝は共にベネトンのミハエル・シューマッハ、セナは2連続リタイヤという成績からも明らかです。
1989年、鈴鹿のシケインで起こったプロストとの接触、そしてシケイン不通過で日本GP失格の裁定がファンには衝撃的だったが、
自分にとって一番印象深いレースは、1992年 モナコGPでのナイジェル・マンセルとのバトル・・・・・かなぁ
アイルトン・セナが生きていれば、今年で54歳。 事故に遭っていなければ、彼はどんな記録を打ち立て、
引退後はどのような第二の人生を送っていたのだろうか・・・
1994年4月30日、日本人として忘れられないのが、この同じサンマリノGPでの、もう1つの死亡事故です。
イモラに散ったもうひとりのヒーロー、ローランド・ラッツェンバーガーの事を、今だからこそ想い出そうと思う。
予選2日目、アタック中に最終コーナーでショートカットによるコース・アウトを喫し、縁石でフロント・ウィングにダメージ・・・
アタックを継続したラッツェンバーガーは、、ビルヌーヴ・コーナー手前でフロント・ウィングのフラップ右側が突如脱落。
マシンは一瞬にしてダウン・フォースとコントロールを失い、ビルヌーヴコーナーを曲がれず300km/hオーバーで
コンクリート・ウォールに激突、跳ね返ってコース上に戻って来たました。 既にマシンは原形を留めていませんでした。
1時間後、医師団の懸命の治療の甲斐無く、ラッツェンバーガーの死亡が正式に確認されました。
この頃のドライバーには、現在のようなHANSシステムなど有しておらず、激しいクラッシュでは首などひとたまりもない。
頚椎骨折、内臓破裂でほぼ即死状態でした。 ローランド・ラッツェンバーガー、31歳、F1デビューイヤーでした。
このデビューイヤーの前年まで日本で活躍していたラッツェンバーガーは、
あの星野一義氏にセナの死よりもラッツェンバーガーが亡くなった事の方がショックだ、と言わしめたほどです。
今思い起こせば、あの5月1日スタート前のグリッド上でのアイルトン・セナは、気が重そうだった・・・・
ラッツェンバーガーの事を思えば、明らかにあのサンマリノGPでの出走を最後の最後まで躊躇っていたように見える。
そして、結果としてアイルトン・セナも同じサンマリノで命を落としてしまう事になってしまうとは・・・・誰も想像しなかった事だ
1988年、BMWがラッツェンバーガーの才能に目をつけBRITISH GTのBMWワークス・ドライバーへと抜擢、シリーズ4位.。
1989年はイギリスF-3000選手権へ参戦し1勝。 その後日本へと活動の場を移しています。
1990年、全日本F-3000、全日本スポーツ・プロトタイプ・カー選手権(JSPC)、全日本ツーリングカー選手権へとフル参戦し、
全日本ツーリングカー選手権ではBMWのエースとしてクラス優勝を果たしています。
1991年も同様に日本国内の複数カテゴリーへ参戦し、全日本ツーリングカー選手権ではクラス2の2連覇を達成しましたし、
JSPCトヨタのセミワークスのSARDのマシンで、伝統の鈴鹿1.000kmで1勝をあげています。
1992年は全日本F-3000でも初優勝、またル・マンやデイトナ24時間等にも出場し、
フォーミュラカーやスポーツ・カーも乗りこなす非常に器用なドライバーでした。
1993年、全日本F-3000参戦中に翌1994年にF-1へと打って出る新興チーム、シムテックからのオファーを受け、
ラッツェンバーガーは遂に念願のF-1ドライバーとなる事が決定し、31歳、遅咲きのF-1デビューを果たしました。
F1チーム、シムテックでの最後のチームメイトだったDavid Brabhamは、イモラのタンブレロコーナーにはセナ像があるが、
ラッツェンバーガーのモニュメントが無いことをボヤいています。 しかし日本にだって私以外にきっと今も彼を想う人間がいる。
かつてラッツェンバーガーが日本で活躍したシュニツァーのBMW M3は今でも記憶に残っているし、
MEN'S TENORAS のトヨタ・89C-V、長坂 尚樹 選手と組んだデンソートヨタ90C-Vも覚えている。
1996年全日本GT選手権で大活躍したLARK McLaren F1 GT-RのDavid Brabhamも、もちろん忘れないが、
ファンにもチームにも、そしてライバルたちにも愛され、輝きを放った記憶に残るドライバーだった。
1994年F1第2戦となったパシフィックGP(岡山 当時のTIサーキット英田)では、2台揃って予選通過、
ラッツェンバーガーは初のF-1出走を"第二の故郷"日本で果たし(開幕戦は予備予選落ちだった)、F1初レースを11位で終えました。
当時TIサーキットで生観戦した日本人を羨ましく思うし、きっと彼らもラッツェンバーガーを忘れずにいるだろう・・・・と願いたい。
そしてこの週末になって訃報が届いた・・・・2011年FIA GT1 Michael Krumm、Lucas Luhrのワールドチャンピオン獲得で
チームに貢献した敏腕エンジニア、Nigel Stepney氏(写真左)がイギリスのケントという街で交通事故で亡くなられたそうだ。
アイルトン・セナのF1 LOTUS所属時代の担当メカニックだったといわれていますが、
BENETTON、FERRARI時代のマイケル・シューマッハの世界チャンプオン獲得にも貢献しました。
しかしその後、FerrariとMcLarenとのスパイゲート事件の張本人であると疑いがかけられ、チームを去ることになってしまいます。
もちろん彼はすべてを否定していますが、2009年まで国際モータースポーツの場で彼を雇用しないようFIAより通達がだされました。
その後2010年になってJames Rumsey 氏のJRMへと加入、翌2011年FIA GT1でNISSANを成功へと導いた敏腕エンジニア。
当時のMichael Krummのブログからも、世界チャンピオン獲得の影にはNigel Stepneyの存在の大きさが
伺える発言が多々あり、以前にもこのブログで彼を取り上げたこともありました。
そして現在のNISSAN GT-R NISMO GT3 も、開発当初より彼の功績は相当大きかったと推察します。
NISSANも急遽ステートメントを発表していますが、偉大なエンジニアが亡くなった事は本当に悲しいニュースです。
2011年FIA GT1を戦ったNISSANドライバーも、あまりに突然の彼の死を悼んでいます。
一昨年のWEC 富士戦、チケットを購入していながら急遽仕事がはいり、観戦にいけなかった事が悔やまれる。
JRMのRumsey氏、そしてNigel Stepney氏と写真を撮りたいが為のチケット購入だっただけに、本当に残念だ・・・・
この週末、SUPER GTを戦うMichael Krummは、公式練習で1.29.682のトップタイムをNigel Stepneyに捧げると呟いています。
Sorely missed ~本当に惜しまれます~
† R.I.P Nigel Stepney、Roland Ratzenberger and Ayrton Senna da Silva
雑誌NUMBERからは、アイルトン・セナ没後20年の特集号が先週発売されています。
F1ドライバーのようなレーシングドライバーに限らず、スポーツ選手がスーパースターとなる条件のひとつに、
”スポーツ選手の枠を超えた人気”があると思いますが、80年代後半から90年代 前半にかけてのセナが、まさにそれだった。
速さでは匹敵するドライバーが出てきたとしても、アイルトン・セナのようなカリスマ性をも持ったドライバーはいないだろう。
1994年のあの日、中継を見る事無く寝ていた自分は、夜中に父親に叩き起こされた・・・・・
「セナが亡くなってしまったようだ!!!!」・・・・・飛び起きて画面を食い入る様に観たのを覚えている。
F1での死亡事故がサンマリノGPで起こるまで久しくなかったように記憶していますが、ポールポジションからスタート、
トップを走りながら、世界のファンが見ているテレビの前から天国へと逝ってしまったF1ドライバーは、セナが最初で最後だろう。
衝撃的な事故死を重く見たFIAは、エンジンパワーやダウンフォースを落とすような改革を行ないました。
その後も安全性を高めるレギュレーション変更を継続しており、セナの死後、20年間F1での死亡事故は一度も起きていません。
あの1994年はレギュレーションが大幅に変更され、ドライバビリティを良くするシステムが全面的に禁止されましたシーズンでした。
当時ハイテクと呼ばれていましたが、アクティブサスやTCSやABSや4WS等々が禁止され、残ったのはセミオートマくらい。
主な理由はあまりにもコストのかかるハイテク・デバイスの開発を禁止し、トップ・チームと中堅クラスの実力差を埋め、
コース上でのバトルを増やそうとの目論みでした。 しかし、このような急激なレギュレーション変更は、
結果的にますます下位チームの財政事情を苦しめ、資金難に苦しむチームはレースでも明らかに苦戦していました。
これまでハイテクの安定性に頼り、空力マシンのウィリアムズチームは、非常に神経質なマシンになってしまいます。
神経質というのは、扱いづらいという意味で、少し空力バランスが崩れると、あっという間にコントロールを失ってしまう・・・・
問題はそれだけではなく、セナの体にマシンが合っておらず、計器類も見えず、ステアリングも好みのものより小さく、
ステアリングを切る時には、モノコックに手を擦ったりして、予選はともかく約2時間のレースを安定して走り切る能力は疑問でした。
開幕2戦で予選1位は共にセナ、優勝は共にベネトンのミハエル・シューマッハ、セナは2連続リタイヤという成績からも明らかです。
1989年、鈴鹿のシケインで起こったプロストとの接触、そしてシケイン不通過で日本GP失格の裁定がファンには衝撃的だったが、
自分にとって一番印象深いレースは、1992年 モナコGPでのナイジェル・マンセルとのバトル・・・・・かなぁ
アイルトン・セナが生きていれば、今年で54歳。 事故に遭っていなければ、彼はどんな記録を打ち立て、
引退後はどのような第二の人生を送っていたのだろうか・・・
1994年4月30日、日本人として忘れられないのが、この同じサンマリノGPでの、もう1つの死亡事故です。
イモラに散ったもうひとりのヒーロー、ローランド・ラッツェンバーガーの事を、今だからこそ想い出そうと思う。
予選2日目、アタック中に最終コーナーでショートカットによるコース・アウトを喫し、縁石でフロント・ウィングにダメージ・・・
アタックを継続したラッツェンバーガーは、、ビルヌーヴ・コーナー手前でフロント・ウィングのフラップ右側が突如脱落。
マシンは一瞬にしてダウン・フォースとコントロールを失い、ビルヌーヴコーナーを曲がれず300km/hオーバーで
コンクリート・ウォールに激突、跳ね返ってコース上に戻って来たました。 既にマシンは原形を留めていませんでした。
1時間後、医師団の懸命の治療の甲斐無く、ラッツェンバーガーの死亡が正式に確認されました。
この頃のドライバーには、現在のようなHANSシステムなど有しておらず、激しいクラッシュでは首などひとたまりもない。
頚椎骨折、内臓破裂でほぼ即死状態でした。 ローランド・ラッツェンバーガー、31歳、F1デビューイヤーでした。
このデビューイヤーの前年まで日本で活躍していたラッツェンバーガーは、
あの星野一義氏にセナの死よりもラッツェンバーガーが亡くなった事の方がショックだ、と言わしめたほどです。
今思い起こせば、あの5月1日スタート前のグリッド上でのアイルトン・セナは、気が重そうだった・・・・
ラッツェンバーガーの事を思えば、明らかにあのサンマリノGPでの出走を最後の最後まで躊躇っていたように見える。
そして、結果としてアイルトン・セナも同じサンマリノで命を落としてしまう事になってしまうとは・・・・誰も想像しなかった事だ
1988年、BMWがラッツェンバーガーの才能に目をつけBRITISH GTのBMWワークス・ドライバーへと抜擢、シリーズ4位.。
1989年はイギリスF-3000選手権へ参戦し1勝。 その後日本へと活動の場を移しています。
1990年、全日本F-3000、全日本スポーツ・プロトタイプ・カー選手権(JSPC)、全日本ツーリングカー選手権へとフル参戦し、
全日本ツーリングカー選手権ではBMWのエースとしてクラス優勝を果たしています。
1991年も同様に日本国内の複数カテゴリーへ参戦し、全日本ツーリングカー選手権ではクラス2の2連覇を達成しましたし、
JSPCトヨタのセミワークスのSARDのマシンで、伝統の鈴鹿1.000kmで1勝をあげています。
1992年は全日本F-3000でも初優勝、またル・マンやデイトナ24時間等にも出場し、
フォーミュラカーやスポーツ・カーも乗りこなす非常に器用なドライバーでした。
1993年、全日本F-3000参戦中に翌1994年にF-1へと打って出る新興チーム、シムテックからのオファーを受け、
ラッツェンバーガーは遂に念願のF-1ドライバーとなる事が決定し、31歳、遅咲きのF-1デビューを果たしました。
F1チーム、シムテックでの最後のチームメイトだったDavid Brabhamは、イモラのタンブレロコーナーにはセナ像があるが、
ラッツェンバーガーのモニュメントが無いことをボヤいています。 しかし日本にだって私以外にきっと今も彼を想う人間がいる。
かつてラッツェンバーガーが日本で活躍したシュニツァーのBMW M3は今でも記憶に残っているし、
MEN'S TENORAS のトヨタ・89C-V、長坂 尚樹 選手と組んだデンソートヨタ90C-Vも覚えている。
1996年全日本GT選手権で大活躍したLARK McLaren F1 GT-RのDavid Brabhamも、もちろん忘れないが、
ファンにもチームにも、そしてライバルたちにも愛され、輝きを放った記憶に残るドライバーだった。
1994年F1第2戦となったパシフィックGP(岡山 当時のTIサーキット英田)では、2台揃って予選通過、
ラッツェンバーガーは初のF-1出走を"第二の故郷"日本で果たし(開幕戦は予備予選落ちだった)、F1初レースを11位で終えました。
当時TIサーキットで生観戦した日本人を羨ましく思うし、きっと彼らもラッツェンバーガーを忘れずにいるだろう・・・・と願いたい。
そしてこの週末になって訃報が届いた・・・・2011年FIA GT1 Michael Krumm、Lucas Luhrのワールドチャンピオン獲得で
チームに貢献した敏腕エンジニア、Nigel Stepney氏(写真左)がイギリスのケントという街で交通事故で亡くなられたそうだ。
アイルトン・セナのF1 LOTUS所属時代の担当メカニックだったといわれていますが、
BENETTON、FERRARI時代のマイケル・シューマッハの世界チャンプオン獲得にも貢献しました。
しかしその後、FerrariとMcLarenとのスパイゲート事件の張本人であると疑いがかけられ、チームを去ることになってしまいます。
もちろん彼はすべてを否定していますが、2009年まで国際モータースポーツの場で彼を雇用しないようFIAより通達がだされました。
その後2010年になってJames Rumsey 氏のJRMへと加入、翌2011年FIA GT1でNISSANを成功へと導いた敏腕エンジニア。
当時のMichael Krummのブログからも、世界チャンピオン獲得の影にはNigel Stepneyの存在の大きさが
伺える発言が多々あり、以前にもこのブログで彼を取り上げたこともありました。
そして現在のNISSAN GT-R NISMO GT3 も、開発当初より彼の功績は相当大きかったと推察します。
NISSANも急遽ステートメントを発表していますが、偉大なエンジニアが亡くなった事は本当に悲しいニュースです。
2011年FIA GT1を戦ったNISSANドライバーも、あまりに突然の彼の死を悼んでいます。
一昨年のWEC 富士戦、チケットを購入していながら急遽仕事がはいり、観戦にいけなかった事が悔やまれる。
JRMのRumsey氏、そしてNigel Stepney氏と写真を撮りたいが為のチケット購入だっただけに、本当に残念だ・・・・
この週末、SUPER GTを戦うMichael Krummは、公式練習で1.29.682のトップタイムをNigel Stepneyに捧げると呟いています。
Sorely missed ~本当に惜しまれます~
† R.I.P Nigel Stepney、Roland Ratzenberger and Ayrton Senna da Silva
この週末SUPER GT第2戦が富士スピードウェイで開催されています。
幸いなことに雨の心配も無い週末となりますが、昨日の予選ではNISSAN勢が両クラスでポールを獲得。
とくに24号車近藤レーシングのヨコハマタイヤが今回は随分よくなっているので安心しました。
そして#3 のQ2Lucas Ordonezのアタックは素晴らしかった、昨年のJAF GTの予選でもかなり乗れていると感じましたが、
Aコーナーの出口で踏ん張りきれなく4輪脱輪でタイム抹消になりましたが、今回はかなりシュミレーションしてきたのでしょう。
GT300で37秒台は、正直かなり速いなぁ~という感想、もう完全に富士をRLでも攻略したようです。
GT-R勢としては、両クラスとも問題はセクター3。 直線のトップスピードは問題ないので、セクター3の処理だけだと思う。
距離は500kmと長いですが、しっかりレースマネージメントすれば1-2-3も夢ではありませんが、
予選で使ったタイヤでスタートを切る前半戦のタイヤマネージメントが、大きな鍵を握ることになるかもしれません。
まだロングのデータが私もよくわかりませんが、天気の問題もあり、路面温度が上がったらどうなるのでしょうか。
今回残念ながらGT500では、HONDAはノーチャンスだろうし、まだまだマシンの基本の部分が決まっていないですね。
とてもとてもNISSAN,トヨタの今のレベルには及んでいませんので、HONDAファンはストレスでしょうね。
ハイブリッドの重さがハンディとなっている・・・・ といういい訳ですが、そんな事はシーズン前から誰もが分かっているところ。
言い換えれば、BOPを改善してほしいというようにも聞こえますが、自分たちが特認を受けている事を忘れてはいけない。
今後仮にDTM車両がエントリーするとなると、ますます話がややこしくなってくる問題で、これから先も問題となる話。
WECなどは非常に上手くレギュレーションが決定・運営されていると思いますので、GTAはしっかりとコントロールしてもらいたい。
GT300は、Blancpain開幕後BOPの変更もあり、BMWの重量が10kg緩和されていますが、
コノブログでも指摘したとおり、あのストレートの長いMONZAでBMWは勝てないし、それによってのBMWへの緩和措置。
MCLARENが+5kg、PORSCHEが+10kg、果たしてこのBOP変更は妥当と言えるのか?
サーキット特性によってのレース結果で変更された事には疑問が残るし、ノンターボはMONZAでは不利だったと思う。
ヨーロッパではタイヤはワンメークですが、日本ではタイヤ開発されており、本当に複雑な話になっていますね・・・・。
今週は左京とWhityが富士へと出かけていますが、また第2戦のおみやげ話に期待しましょう。
幸いなことに雨の心配も無い週末となりますが、昨日の予選ではNISSAN勢が両クラスでポールを獲得。
とくに24号車近藤レーシングのヨコハマタイヤが今回は随分よくなっているので安心しました。
そして#3 のQ2Lucas Ordonezのアタックは素晴らしかった、昨年のJAF GTの予選でもかなり乗れていると感じましたが、
Aコーナーの出口で踏ん張りきれなく4輪脱輪でタイム抹消になりましたが、今回はかなりシュミレーションしてきたのでしょう。
GT300で37秒台は、正直かなり速いなぁ~という感想、もう完全に富士をRLでも攻略したようです。
GT-R勢としては、両クラスとも問題はセクター3。 直線のトップスピードは問題ないので、セクター3の処理だけだと思う。
距離は500kmと長いですが、しっかりレースマネージメントすれば1-2-3も夢ではありませんが、
予選で使ったタイヤでスタートを切る前半戦のタイヤマネージメントが、大きな鍵を握ることになるかもしれません。
まだロングのデータが私もよくわかりませんが、天気の問題もあり、路面温度が上がったらどうなるのでしょうか。
今回残念ながらGT500では、HONDAはノーチャンスだろうし、まだまだマシンの基本の部分が決まっていないですね。
とてもとてもNISSAN,トヨタの今のレベルには及んでいませんので、HONDAファンはストレスでしょうね。
ハイブリッドの重さがハンディとなっている・・・・ といういい訳ですが、そんな事はシーズン前から誰もが分かっているところ。
言い換えれば、BOPを改善してほしいというようにも聞こえますが、自分たちが特認を受けている事を忘れてはいけない。
今後仮にDTM車両がエントリーするとなると、ますます話がややこしくなってくる問題で、これから先も問題となる話。
WECなどは非常に上手くレギュレーションが決定・運営されていると思いますので、GTAはしっかりとコントロールしてもらいたい。
GT300は、Blancpain開幕後BOPの変更もあり、BMWの重量が10kg緩和されていますが、
コノブログでも指摘したとおり、あのストレートの長いMONZAでBMWは勝てないし、それによってのBMWへの緩和措置。
MCLARENが+5kg、PORSCHEが+10kg、果たしてこのBOP変更は妥当と言えるのか?
サーキット特性によってのレース結果で変更された事には疑問が残るし、ノンターボはMONZAでは不利だったと思う。
ヨーロッパではタイヤはワンメークですが、日本ではタイヤ開発されており、本当に複雑な話になっていますね・・・・。
今週は左京とWhityが富士へと出かけていますが、また第2戦のおみやげ話に期待しましょう。
Posted by CUBIX GROUP at 15:27
│GARAGE Carrera