2010年08月20日
AZUSA② アレッサンドロ・ナニーニ編
CUBIX RACING より
本日も "AZUSA" part2
Alessandro Nannini編を
お届けしましょう
本日も "AZUSA" part2
Alessandro Nannini編を
お届けしましょう
驚異的なスピードで開発されたこのCLK-GTR
1997年Pokkaインターナショナル1000kmには1台の特別仕様のCLK-GTRが存在しました。
1997年Pokkaインターナショナル1000kmには1台の特別仕様のCLK-GTRが存在しました。
アレサンドロ・ナニーニのF1デビューは1986年27歳、88年にはベネトンのシートを獲得しました。
イタリアで有名な老舗菓子店「ナニーニ」の長男として生まれ、姉もイタリアで有名なpops歌手。
まあ典型的なセレブですね www
ここ東京汐留のイタリア街には彼のレストラン”リストランテ・アレッサンドロ・ナニーニ”があります。
あの日テレのあるところですね! ちなみに場所はこちら↓ ↓
http://alike.jp/restaurant/target_top/46316/
89年のF1 Round15 日本GP(鈴鹿)において、いわゆるセナ・プロ対決での接触、
セナのシケイン不通過でレース終了後、セナが失格となり、繰り上げ優勝したのが何を隠そうこのナニーニなのです。
もちろん彼自身フォーミュラー1での初勝利がこの鈴鹿だったのです。
翌90年はネルソン・ピケも加入しベネトンで順風なF1でのキャリア積んでいきます。
そんなナニーニに突然悲劇が襲いかかります・・・
1990年日本GP(鈴鹿)直前の10月12日、ナニーニを含む4人が搭乗していた自家用ヘリコプターが、
シエナ郊外にあるナニーニ家の別荘敷地内で着陸に失敗し墜落・・・・
その際にヘリのローターで右腕の肘と手首の間を切断する重傷を負ってしまいます。
事故を間近で目撃したナニーニの父親が気転を利かせ、その切断された右腕を氷水につけ、
救急車でナニーニと共に運び緊急手術。 幸いにも命を落とすこともなく、手術は無事成功しましたが、
これで彼のF1のキャリアは終了を迎えてしまいます。 しかし長いリハビリを経てレースに復帰。
その後は、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)にアルファロメオより参戦し活躍しますが、
結局高度な技術と体力が必要なF1に復帰する事はありませんでした。
ちなみにナニーニがベネトンを去る事で翌年のシートを獲得したのは、あのラルフ・シューマッハだったのです。
その後の彼の活躍は皆さんのご存知のとうりです。
そして1996年からは活動の拠点をITC(国際ツーリングカー選手権)へと移し、アルファロメオをドライブする事となります。
しかしシーズンを終えるとFIATグループにも不景気が直撃し、アルファロメオもレース活動を見直さざる得なくなります。
お決まりのリストラですね! ナニーニは1年契約が残っていましたが、交渉の末前倒しで契約を終了させ、
翌97年から開始されるFIA GT選手権へ参戦する事を決定したメルセデスに自らを売り込み契約にこぎ着けました。
順調にリハビリを続けレース界に復帰してきたナニーニでしたが、彼自身インタビューの中でも話していましたが、
「ドライビングプレジャーは甦ったが・・・」、この・・・が意味するものは何なのでしょうか。
実は右手(右腕)の感覚というものがはやり100%ではなかったようです。
基本的にはシフトチェンジに少し手こずっていたのです。
今の時代であればステアリングの後ろで行うパドルシフトがありますが、
残念な事にこの時代にはまだシーケンシャルシフトしかないんですねぇ・・・・
そこで考えられたのが、 ”ダブルシーケンシャルシフト”というものです。これがナニーニの為に考えられた仕組みです。
下のSSにも(これはRLのものです)あるとうり、シフトレバーを2本備え付け、
お互いがリバースの動きをするものです。
ナニーニはシフトレバーを引くという作業が上手くいかなかったようで、
それなら全部押す方式にしてシフトチェンジさせようという事になったのです。
左シフトを押せばシフトup、右シフトを押すとシフトdownという使い方です。
耐久レースの場合、複数のドライバーがマシンをドライブするわけですが、
通常のドライバーの場合はドライバーズシート側のみ使用して押したり引いたりしてシフトチェンジする事で、
通常のマシンとなんら変わりありません。さすがにコクピットもすばらしい仕上がりです。
オンボードカメラを意識して、スポンサーロゴをボード上に配置しています。
このレース1000kmの長丁場にもかかわらず序盤からスプリントレースの様相を呈していましたが、
結局メルセデスの1-2フィニッシュという結果になりました。
1989年日本GPを制してから8年後、この同じ鈴鹿でアレッサンドロ・ナニーニ組が優勝を飾るのです。
つくづく相性のイイこの日本で、それも鈴鹿で2つも勝った事は美しい思い出として、
ずっと胸に抱き続けていくつもりさ・・・・とインタビューの中で答えているのが印象的でした。
1998年メルセデスはこのCLK-GTRの後継としてCLK-LMでル・マンに挑戦しますが、
スタート後2時間でトラブルのため全車リタイヤという大敗を喫してしまいます。
そしてその翌年CLRというマシンでル・マンへと挑戦しますが、再びメルセデスに悪夢が降りかかります。
あしたはこCシリーズの最終型CLRについてお話しましょう。
今日お届けする動画は、このCLK-GTRの開発までのfactoryにてマシンが組み立てられていく様子の動画。
1'28秒あたりで、ナニーニ自身がコクピットに座り、Wシーケンシャルシフトをさわっている様子が映っているので注目です
それではよい週末を !
CUBIX RACING / kaz Galtier
Posted by CUBIX GROUP at 21:15
│CUBIX RACING
Comment
や~面白かったです!
ネットでナニーニさん調べたら若い頃は超超イケメン!
タイプなんですけどぉ~
なんか読んでてドキドキしちゃいましたぁ^^
ネットでナニーニさん調べたら若い頃は超超イケメン!
タイプなんですけどぉ~
なんか読んでてドキドキしちゃいましたぁ^^
Posted by クルマ好き元ヤン㊛ at 2010年08月21日 17:19
コメントありがとうございます。
若い頃は確かにかなりのイケメンですよね
最近の写真を見ましたが、ん~かなり太られたようでしたww
kaz Galtier
若い頃は確かにかなりのイケメンですよね
最近の写真を見ましたが、ん~かなり太られたようでしたww
kaz Galtier
Posted by CUBIX GROUP at 2010年08月21日 19:34